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Author:あやこ3
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ごもっともです、トルストイさん!


 もう、ずーっと前だったかに手に入れた本。
でも、いつもそばにある本。
「ことばの日めくり」 トルストイ著

 365日の日付があって、日替わりでトルストイの信念が短く書かれている。
私は毎日ではないが・・・そこが私のいい加減なところ。
気が向くと、その日の割り当てられた文を読んでいる。


たまたま、一昨日、3月18日。
一緒に仕事をしている人の、理不尽な行いに腹を立てていた。
面倒くさいのは嫌いなので、表面上は特に平然としていた。
が、かなり内心批判いっぱいであった。
帰宅後、ふとその日のページを読んだ。

「ことばの日めくり」トルストイ著より

3月18日
 他人の非難はつねに間違っている。
なぜなら、どんな人間でも、その相手の心の中にどんなことが起こったか、
また現におこりつつあるかを決して知ることは出来ないからである。
・・・中途略・・・・・
 あなたが自分自身の欠点に気がついて、それを直そうと努力するつもりならば、
他人を非難することなど思いもよらないことだろう。第一そんな暇はない筈である。
 私は自分については悪を行なおうとは思わないし、悪を行なったとしたら、
それは、こらえることが出来なかったためである。
・・・・・・・・・・・中途略・・・・・・それなのにどうして私は他人のことについては悪く考え、
彼らをとやかく批判するのだろう?


 てな、具合に書かれていた。
読むといつも、「ごもっともです!トルストイさん」と、思う自分。

 ・・・・・・この日もやっぱり、「ごもっともです!トルストイさん」だった。
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古本屋さん探検

 
前から何かの都合で通りかかって、気になっていた。
隣町の古本屋さん。
はやりのチェーン店ではない。
たぶん、ずっとずっと昔からあったと思う。
ちゃんと独自のお店の名前がある。

 店の前の通りが広がって、歩道がついたのが4,5年前。
それに合わせて店の建物が後ろに下がったので新しく建築されたと思われる。
いつか、覗いてみたいと思っていた。

 今日やっと実現。
思いのほか店の中は広い。
おまけにすごく古い全集ものとか沢山ある。
何だかワクワクする。
今は、腰を落ち着けじっくり全集ものを読む時間がないけど、そのうちバァさんになりかけたら挑戦だ。

 本日のお買い上げ
田中澄江 『野の花が好き』 犬養道子 『私のヨーロッパ』 澤地久枝 『画家の妻たち』
合計1600円也。

 一番古い犬養さんの本なんて昭和54年発売。
当時のヨーロッパについて書かれている。
どんな体験をされて、どんな思いや考えをされたか想像するだけで楽しい。
暇を見つけて少しづつ読んで行きたい。

 古本屋さんバンザーイ!バンザーイ!




ちり取り買った


 最近読んだ本の中でビックリしたのは、東京で1ヶ月の電気代が500円で暮らしている人の存在。
御主人と子供さん2人も一緒に暮らしている。
もちろん、掃除洗濯 『手動』
TVはない。

 基本的な情報はラジオと新聞。
とにかく、特に無理をして我慢しているとか、貧乏だから、とかではなく自然にそうしているらしい。
むしろそういう生活を楽しんでいるようだ。
でも、心の奥には、このままエネルギーを使い続ける日本の現実を危惧しているようだ。

 また他には、日本はエネルギーを使いすぎている!
原発はいらない!って声高々に言うより、自分が無駄なエネルギーを使いすぎていないか反省することが大事、と日々節約生活しているオジサンの本。
そうだ、電気を作ることを考えるより、電気を使わない事を考える!
目から鱗だ。

 私も原発反対なので、こうした事を踏まえて無駄なエネルギーを使わない努力をしようと思った。
そこで、登場したのがジャーン、ほうき!
いらない紙くずをギュッと水で絞って、細かく千切って床にまき、ほうきでホコリと供にまとめる。
コレが、なかなか使い勝手が良い。
おまけにホコリもよく取れる。

 ほうき自体軽いし、当たり前だがコードレス。
なのでササッと使える。
で、掃除機の出番はラストのみ。
まとめたゴミをシュッと一息のみで回収。

 でも、もっと進化?させようと、今日はちり取りを買ってきた。
これで、エネルギーゼロ。
・・・・・・だが、さすがに洗濯の手洗いはカンベン。
他にも、神経質にならない程度で、楽しんでやれそうな節約を考えていきたい。

 



 

ときどき「ちひろ」


 近隣の市で、いわさきちひろの童画展をやっている、と夫が教えてくれた。
昔から、ちひろの絵は好きだった。
小さい頃に見かけた、雑誌や絵本に載っていたイラストが、ちひろのものだと大人になってから知った。
その頃から、ずっと好きだった。

 眺めていると、心が浄化されるような素直な絵だ。
パステルカラーの優しく柔らかな子どもの絵は、懐かしさも沸き上がる。
その絵に描かれた、何気ない子どものしぐさも納得出来て、深く感心してしまう。

 だが、17年ほど前に、ちひろの評伝 「つばひろの帽子をかぶって」(飯沢 匡 黒柳徹子著)を読んでから、ちひろの人生が苦難の連続であったことを知った。
その、ふんわりとした優しい素朴な絵が、厳しい生活の中で生み出されたものであった事が、余計に胸を打った。

 本の中で特に感動したのは、亡くなる2年ほど前、当時53才のちひろが思いを込めて書いた文だ。
「つばひろの帽子をかぶって」の最後のページに紹介してある。
今でも、内容を思い出すことが出来る。
その文が、子どもを育てる上での目標の、ひとつのきっかけにもなったので、よく憶えているのだ。

 さっそく、雨の日の休日、美術館へ出かけた。
やはり人気があるようで、早い時間だったにも拘わらず、駐車場はすでに満車に近く、そこへ通じる公道は後から後から、美術館に向う車で賑わっていた。

 ちひろの童画展は、こうして近隣で催されれば、必ず行くようにしている。
長野県安曇野の、ちひろ美術館も何年か前に訪ねたことがある。
時々、ふと眺めたくなる絵なのだ。

 ひととおり、懐かしさに浸りながら周ると、出口のところで、なんと、あの「文」と、ご対面となった。
今回の童画展、やはりこの「文」が万人を感動させるのか、大きなパネルになって展示してあった。

 今、また読み返しても、やっぱり胸に詰まってしまう。
ちひろが、あの絵を生み出すのに、どんな思いですごして来たのか、少し解る気がする。
同時に、今の自分も同じような年齢になり、改めて読むと、実感として身につまされる思いだ。

特にラストの段落は、心に染み入り 「ホントにそうそう、そうだね!」 と、今でも大きく頷いてしまうのだ・・・。



            『大人になること』      いわさきちひろ

 人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。
けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。
といってなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。

 戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮らしをしていました。
好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。
けれど生活をささえている両親の苦労をさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼しても気付かず、なにごとも付和雷同をしていました。
思えば、なさけなくもあさはかな若き日々でありました。

 ですから、いくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。
ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。

 もちろん、いまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。
だけどあのころよりはましになっていると思っています。
そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。
失敗をかさね、冷や汗をかいて、少しずつ、少しずつわかりかけてきているのです。

 青年老いやすく学成りがたしとか。
老いても学はならないのかもしれません。
でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の生き甲斐なのです。
若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。
親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点がゆるせなかったこともありました。

 いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。
これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。

 大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。
                               (「ひろば」53号 1972年4月 至光社)






400年の重み

犬山城 (国宝)   愛知県犬山市

 まだ残暑厳しい休日、かねてより行ってみたかった、お城に出かけた。
お城と言っても、国内には沢山ある。
だが、戦国時代を経て江戸時代から幾多の苦難を乗り越え、当時のまま現存する天守閣を持っているお城は、全国に12ヶ所しかない。
中でも、国宝となっているのは松本城(長野県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)である。
このうち、姫路城と彦根城は行った事があるので、今回は犬山城。
4つの中でも最も古いと言われる犬山城である。


            09-08-30_12-25犬山


 もともと、歴史をリアルに感じる古いモノが好きだ。
特に、お城はその建造から運営まで、おびただしい数の人々が係わった事実に、感慨深い思いが沸く。

 入って直ぐ、一抱えもある太さの梁に驚きながら、ヒンヤリした城内を登って行く。
戦国時代の人々の息吹きを感じようと、ゆっくりじっくりと眺める。
建築としての美も見事である。
その均整の取れた美しさには、惚れ惚れしてしまう。

 暑い盛りの見学だが、もちろん空調設備など、ない。
にも拘わらず、特に不快感は感じない。
駐車場から、ここへ来るまでの道のりは、歩いているとジワジワ汗が滴るほどの暑さである。
湿度もベッタリ感じた。

 だが城内一歩入ると、確かに暑さは残っている、が不快な蒸し暑さは特に感じられない。
城を構成している漆喰と木材の調湿パワーが、ここでも優れていることを証明している。
もちろん、間取りもきちんと四方を計算し、風の通りや雨の向きなど考えられていると思う。
確か、この日の予想最高気温は、33度であったと思う。
丁度、城に入ったのが日中の一番暑い時刻だったが、天守閣の最上部にあった温度計は29度を指していた。


                    09-08-30_12-49.jpg
                       天守閣から入り口を見下ろした風景

 ここに425年前(1584年)、豊臣秀吉が大阪から、大勢の兵を連れて入ったんだな・・・。
徳川家康との戦いを控え、さぞ緊迫感と高揚感に包まれたひとときが繰り広げられたんだろう。
想像しただけで、そのざわめきが城内を飛び交っているようである。
かなり大雑把な知識しかないが、その後の成り行きを知っている者としては、ゾクゾクしてくるような歴史の一コマである。


 そんなに大きなお城ではないので、正味一時間ほどで見学終了。
遅いランチをと、近くで手頃な店を探したが、好みに合う店が、みつからなかった。
結局、駐車場に歩いていく途中にあった、名鉄犬山ホテル内のカフェでランチとなる。

               09-08-30_13-3711002nn.jpg

             サンドイッチとサラダとグレープグルーツジュース。

 偶然、入ったホテルだったが掃除が行き届き、随所に生花が活けられ、スタッフはとても感じ良かった。
どんな場所でも、細かい配慮が感じられると、やはり何がしの気持ちが伝わって来る。
こういうホテルに泊まりたいなぁー、と思わせてくれるホテルであった。

 お城といいホテルといい、常連になっている明治村といい、なんか犬山市って好い街だな、と思った。



久しぶりに、お芝居!


 週末、やっぱり雨。
朝、何気に新聞を広げる。
ふと、中日劇場の出し物の広告が目に留まる。

 『異人たちとの夏』  山田太一 原作  鈴木勝秀 脚本・演出 
本日8月2日開演  12:00  17:00
えっ!まだ席があるんだ・・・・・・・。

 このお芝居の予告は、すでに2ヶ月ほど前に見ている。
15,6年ほど前に、原作の小説を読んでいたので、インパクトが強かった。
内容がSFっぽいので、アレをお芝居にどうやってするのだろう?と興味もそそられた。
だが、開演予定日が夏山シーズンまっさかりの8月だった事もあり、そのまま忘れることにした。

・・・でも、今日は雨。
 確かに小説の内容も感動的であった。
特に主人公が、亡くなった両親のところへ遊びに行く、という不思議な内容の描写に魅かれた。
当時、自分もすでに父を亡くしていたので、主人公の両親への郷愁を伴う心情が、手に取るように解った。
読み終わった後、現実が遠くなってしまったような、不思議な感覚が残った覚えがある。

 唐突だが夫に、今から芝居を見に行かないかと、打診する。
なぜ観たいか、手短に理由を言うと、行こう行こう!って張り切って同調してくれる。
さすが、珍しモノ好きである。

 そうと決まれば、急がなくては!
すぐに、二人で名古屋、栄の中日劇場に向かう。
チケット電話予約開始の時間より、もう劇場に向かわなければ間に合わない時間だったからだ。
窓口にて、もしもチケットが売り切れなら、その近場で遊んでくれば良いと、まずは行動だ。

 劇場の入っている中日ビルに着いたら、私がチケットを買いに走り、夫は車を路駐で待機。
買えたら携帯で夫に連絡、駐車場に車を入庫、と言う段取りだ。

 車から降りて、すぐさま9階の劇場までダッシュ。
だが、もともと方向音痴の私、エレベーターの位置がよく分らない。
仕方なく、手頃なエスカレーターで上がる。
しかし、そんな悠長なことは出来ないと思い直し、3階で降りる。

 最初から、案内板を見りゃいいのに今更、眺める。
エレベーターの位置を確認後、ウロウロ探し出し乗り込む。
当然3階から9階の劇場まで数秒。
慌てて窓口に駆け込み、運良く隣接席の空きが3組あり取れた。
夫に連絡。

 まずは、お芝居の途中にある休憩で食べる、お弁当を確保だと地下の食品売り場に行く。
パン系のモノを捜したが見つからず、お惣菜屋さんの割り子弁当を買う。
これで準備万端。

  物語は、夫婦関係が冷え込み、年頃の息子とも断絶、半ば投げやりに生活している寂しい中年の売れっ子シナリオライターが主人公。
ある日、すでに亡くなってしまった筈の自分の両親と雑踏の中、出会う。
彼らに無条件に迎い入れられ、子供時代に戻ったかのように可愛がられる。

 同時に、妻から離婚され、仕事場にしていたマンションに一人住み込むことになる。
暫らくして、そのマンションの住人で年下の女性と知り合う。
両親や女性との交流を通し、主人公が真に大切なことに気づき、再生されていくという話だ。
もちろん、涙がこぼれそうな感動的な場面あり、大どんでん返しもありでグイグイ惹きこまれていく物語である。

 気になっていた、タイムスリップして両親と過ごす時間の場面と現実との切り替えなど、上手い具合に舞台がセッティングされていた。
違和感なく、その場その場の場面変換が、すんなり決まる。
せりふも、短い中に的をついた言葉が用意されていて、思わず反芻してしまった場面もある。
本を読んでいても胸が詰まったが、両親と別れなければいけなくなり、そのシーンには涙がこぼれそうだった。

 本も、もちろん良いが、お芝居もたまには良いと、しみじみ思ったひとときであった。


                 09-08-02_14-45中日劇場9階窓の
 
                     中日劇場ロビーより 窓の外の景色
 

良い本との出合い


 普段、めったにTVは見ない。
TVが、ないのではない。
常に読みたい本が目白押しだからだ。
それでも、一応番組欄は、時々チェックしている。
たまに見たい!と思うのも放送されているからだ。

 このところ、毎週欠かさず見たいのが少しできた。
その中の一つ、火曜日夜10時25分から教育テレビ 『知を楽しむ 生命へのまなざし』
写真家の故、星野道夫さんの特集である。
星野さんと直接交流のあった4人の方のインタビューを中心とした番組だ。
3月限定4回シリーズだ。

 アラスカに住み、被写体を自然と動物、人間を主に撮られた写真家である。
もうひとつエッセイストの顔も持つ。
写真ももちろん魅力的だが、彼の書く文章が、なんとも心、深く動かされるのだ。
2年ほど前に、その著作を何冊か読み、すっかり魅了されてしまった。

 読んでいると、まるでアラスカの日常が目の前に繰り広げられているような錯覚を起こす。
けれども、決して押し付けがましさはない。
自然や動物に対しての謙虚さが、満ち満ちている文なのだ。
普段見過ごしがちだが、立ち止まって気付いた方が、より深くものごとを捉えられるであろうこと、を教えてくれる。
また、その文体から、この自然界全ての営みを、大らかに優しく包み込んでいるような感性を感じる。

 たとえば・・・。

 人生はからくりに満ちている。
日々の暮らしの中で、無数の人と擦れ違いながら、私たちは出会うことがない。
その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている。

                         星野道夫 「旅をする木」 アラスカとの出合い より


 私たちは、二つの時間を持って生きている。
カレンダーや時計の針に刻まれる慌しい日常と、もう一つは漠然とした生命の時間である。
すべてのものに、平等に同じ時が流れていること・・・・・・その不思議さが、私たちにもう一つの時間を気付かせ、日々の暮らしにはるかな視点を与えてくれるような気がする。

                                「長い旅の途上」 オーロラ より
                               

 私は季節の動く瞬間が好きだ。
紅葉のピークがわずか一日のように、透き通る若葉の季節も一瞬である。
ただ無窮の彼方へと流れゆく時に、巡る季節でふと立ち止まる事ができる。
自然とは何と粋な計らいをするものなのだろう。
それぞれの美しい季節にこの世であと何度、巡りあえるのか。
その数を数えるほど人の一生の短さを知るすべはない。
自然の色に、私たちはたった一回の生命を生きていることを教えられるのだ。

                                「長い旅の途上」 季節の色 より


 もう、星野さんは亡くなってしまった。
新しい著作を読むことは永遠に叶わない。
だから余計、少しでもその人間像に近づけたら、と期待して放送を待っているのだ。

 TVの前で子供のようにワクワクと座り、その時間を待つなんて久しぶりである。
・・・コレをきっかけに、また著作を読み返している。
いい本に巡りあえたという幸福を、しみじみ味わっている。

 


 クリスマス2008年


 昨夜遅くから、ケーキを焼いた。
デコレーションは、今日に伸ばして台だけ焼いた。
何とか、夕飯までに仕上げられた。
ささやかだけど、クリスマスのお祝いだ。

 20年ほど前に、ふと気が付いた。
読み散らかしていた本の数々。
生き方や考え方に、惹かれたり共感した作家の多くが、クリスチャンだった。
聖書を読んでみたい、と思った。
勉強に、しばらく通った教会。
およそ1年後、作家の方達と同じ道を歩いて行きたい、と希望。
あれから心の中で、ずっと消えることのないロウソクが灯っている。

 それ以前に観た、映画 『赤毛のアン』 
敬虔なクリスチャンである養母のマリラに、主人公アンが訊ねる。
「マリラは、人生に絶望した事は、ないの?」
マリラはピシャリと答える。
「・・・ないです!私にとって絶望とは、神に背を向けることですから・・・。」
当時は、クリスチャンではなかったので 「フーン、そんなものかー」 で終わってしまっていた。
今は、マリラと全く同じ思いだ。

  いつも喜んでいなさい。
  たえず、祈りなさい。
  すべての事について感謝しなさい。
               聖書 テサロニケ人への手紙 第Ⅰ 5章16~18節

自分が一生貫いていきたいと思っている言葉だ。
もちろん、バァサンになってもである。



                 08-12-25_16-552008.jpg



銀龍草が見たい!


 銀龍草、ネットでさっそく検索。
あった!
なんて、か弱そうな花なんだろう。
なんとなく、ムーミンに出てくるニョロニョロに似ている。
でも、よく見ると花の形は、たぶんその名前の由来になったと思われる龍の頭のようだ。
群生している風景はなんとも不思議な光景。
見たい、見たい、ぜひ見てみたい!

 昨日の事だった。
友人からメールが入った。
『人に勧められて一気に3時間で読んだ。感動です、よかったら貸すよ!』
ワッ嬉しい!すぐに 『ぜひ、読みたい!』 とメールを打ち返す。

 「西の魔女が死んだ」 梨木香歩著
この春、映画にもなった作品だ。

 本の帯には 『ラスト3ページ、涙があふれて止まりません』 とのコピー。
そうか、じゃあ泣かせて貰おうじゃないか!と腰を据えて挑む。
登場人物も少なく、平易な文で読みやすい。

 登校拒否の女の子が、西の魔女こと彼女の祖母と一月あまりをすごした物語だ。
随所に散りばめられた、女の子に語りかけるお祖母ちゃんのセリフがいい。
思わず、同感している。
たぶん年を重ねないと、たどり着けない境地のセリフだと思う。

 例のラスト3ページ、悲しい場面な筈なのになぜか「やったァー!」と思わせられる。
残念ながら泣けはしなかったが、しみじみと温かいものを感じる読後感である。
特に娘が中学生くらいだったら、夏休み読書感想文用にでも薦めたいくらいの良質な物語だ。

 結局、読んでいくと展開を早く知りたくて借りたその日、数時間で一気に読み上げた。
気になったのは物語に登場した銀龍草!
名前を聴くのは初めてだし、当然見たこともない。
文中の、まるで銀細工のような花、との描写に大きく好奇心が疼く。

 調べてみると、山で遭遇出来そうである。
あー、見たい、見たい!
次回から山へ行ったら、きっと湿った場所を捜すだろう。
見つけようと、地面に這うようにしている自分がそこにいる気がする。
銀龍草、名前もなんて素敵なんでしょう!

 絶対、ぜったい、いつか見つけるからね!


こんなんまで、入ってます。


 最近読んだ、群ようこ氏のエッセーで、こんなようなことが書かれてあった。

 ・・・このごろオバサンも結構、若作りするので服装だけでは、オネエサンと大差ない。
けれどバックを見れば一目瞭然。
オバサンのバックはパンパンだ・・・。

 思わず噴き出してしまった。
間違いなく自分も、パンパンだからだ。

 先日、友達数人とランチに出かけた。
全員、自分と同世代である。
さりげに、みんなのバックを見る。
なるほど確かに、そこそこ膨らんだバックを持っている。

 ・・・でも、あきらかに、自分が一番パンパンだった。
異様に膨らんでいる。
帰り際、道端で立ち話しをする。
なにげにバックから、水筒を取り出したら、みんなにギョッとされた。
 

東村に思いを寄せて


 桜便りが、あちこちで聞かれる頃だった。
そろそろGWに登る山を決めないと、宿の手配が間に合わない。

 去年、思いつきのように決行した大山(鳥取県)。
寸前に予約の手配になった。
空いている宿が1件しかなく、仕方なくそこにした。
犬も一緒にOK、という触れ込みの宿だった。
犬は好きだ。
だが見も知らない犬とのペンションライフは、イマイチ乗り気がしなかった。

 案の定、キャンキャン吠える小型犬を連れた家族の横での晩ご飯と相成った。
それだけならまだしも、夕食のメニューが、なんと「ナベ!」
そう、あの寒い季節定番のナベ!
なんで、初夏ともいえるGWでナベなんだ!
小型犬が走り回る座敷(ペンションに座敷、というのもヘンだ!)で季節外れのナベを囲んだ時、しみじみ思った。
やっぱり、予約は早めに取ろうと・・・。

 今回はその教訓を活かし、早めに計画を立てる。
常日頃、夫と少しずつ百名山を制覇しようと決めているので、リストを前に相談。
休みの都合で、往復も含めて3日以内で行ける距離の山。
お正月に西へ出かけたので、今度は東が良い。
結果、赤城山(群馬県)に決定。

 あの「赤城の山も今宵限りだ・・・」の赤城山である。
念のため、天候悪化や時間の空きに周れるかもしれない観光スポットも調べる。
ふと、気が付く。
富弘美術館がある東村が群馬県だ!
地図で確認する。
赤城山から20、30キロの距離である。

 星野富弘 S21年生まれ、群馬大学を卒業後、体育教師として中学校に赴任。
わずか2ヵ月後、クラブ活動の指導中、誤って鉄棒から転落。
以後、四肢マヒにより手足の自由を失う。
その後、口に筆をくわえて詩画を描き始め、その作品が全国で感動を呼ぶ。
故郷に自身の詩画が常設されている美術館(富弘美術館)あり。

 約、20年ほど前に手にした星野さんの著書「風の旅」「愛、深き淵より」の深い感動を思い出す。
ページを開くと、心に刻み付けるように自分で引いた線が何本もついている。
その箇所は今でも胸を打つ。

 仲良しだった入院仲間がだんだん状態が良くなり、ずっとその仲間の回復を願っていた筈の彼だったが、自分の心に湧き出た嫉妬心に、苦しんだ時の手記。
・・・周囲のひとが不幸になったとき自分が幸福だと思い、他人が幸福になれば自分が不幸になってしまう。
自分は少しも変わらないのに、幸福になったり不幸になったりしてしまう。
周囲に左右されない本当の幸福はないのだろうか・・・

 また、自分の身体は、もう一生元に戻らないという事実に打ちのめされ、自殺を考えてしまう。
だが、様々な出来事を通して彼は蘇る。
その場面にも線が引いてある。

・・・いつかはわからないが、神様が用意していてくれる、ほんとうの私の死の時まで胸をはって一生懸命生きようと思った。
井上陽水の「人生が二度あれば」という曲が、ときたまラジオから流れてきた。
でも私は人生が二度あればなどと考えるのはよそう。
今の人生を精一杯生きられない者が、二度目の人生など生きられるはずがあるだろうか。・・・
                                        星野富弘著「愛、深き淵」より

 
 何だか赤城山より、星野さんの故郷に行ける!という事が大きな楽しみになってしまった。
訪ねた時に、じっくり感動したいので、もう一度著作を読み直そう!
赤城山、桐生、渡良瀬川そして東村!地図の中の地名が鮮やかに生きてくる。
読みながら、こんなに良い本と巡り会っていたんだ、と改めて感激する。

 

インフルエンザワクチンは打たないよ!

 
ここ何年か、この時期になるとインフルエンザ予防注射の話題が出る。
しかも圧倒的に推奨派の意見が多い。

 インフルエンザの予防注射って、たしか昔 「効果が不明で、副作用被害が多い」 との理由から義務接種から任意接種になったはず・・・。
今って状況がまた変わったのかな?
それとも、みんな、ちゃんと調べた上で判断しているのかな?
と、ひとごと (自分は全く打ってないので) ながらも気には、なっている。

 6年ほど前だった。
長男が大学入試を控えていた。
他の受験生同様、予防接種が学校で話題になり、どうするか当時長男から意見を訊かれた。
一応、打つ必要なしと答えたものの、再度確認しようと調べた。
やはり自分自身、昔の情報なので新たに状況が違っているかも、と思ったからだ。
だが、行き着いた結論は同じであった。
「有効性が無いばかりか、副作用被害もキチンと毎年報告されている」

 その2年後の次男受験時は、調べるまでも無く打つ必要なし、と答え、事実打たなかった。
だって、かりにインフルエンザになって受験出来なくても、また来年受ければいいではないか!
そんな事より、もし副作用が出て一生寝たきりになんてなったら、取り返しが付かない。

 なんとなく、コレまでの国のやってる事は国民の健康より、それらを作ったり売ったりしている企業、集団を有利にと動いている気がする。
その結果トンデモナイ事態になった事が多々ある。
 薬害エイズだってそうじゃないか!ヤコブ病、最近の薬害肝炎訴訟もそうだろう!
だから私は何かヘン!と思ったら、まず自分で調べる。
特に母親として、自分の無知により子どもをトンデモナイ事に遭遇させるワケにはいかない!

 今回、図書館で借りた本の中に医師が書いた風邪に対する予防の最新ノウハウ本があった。
その本にやはり、ワクチン不要論ばかりか義務接種だった30年ほど前の、重篤な副作用被害に会われた方達がつい最近まで被害認定、国家賠償裁判が各地で起こされ、被害者の訴えがことごとく認められている事に触れてあった。

 そのなかに一例で25年前、学校での集団ワクチン接種が原因で、急性散在性脳髄膜炎を発症、現在症候性ジストニアという重い中枢神経疾患になり、発声を含め全ての行動に重度の後遺障害を残された方を実名で紹介されていた。
 現在も高齢化された親御さんに全面介護されてるそうである。
当時、義務接種だった事を考えるとホントにお気の毒である。
もちろん裁判では国は責任を認め、勝訴してみえる。

 こんな事例が今でもある事を一般の新聞に書かれてあったことは、自分が見る範囲ではない。
ますます製薬会社、医療関係の利益の為に国は動いているんでは?と怪しんでいる。
特にインフルエンザワクチンは、巨額な利益をもたらしているのは予測がつく。

 しかも、今はこれだけ恐ろしい副作用の現実があっても任意接種の自己責任である。
もし、被害にあっても 「アンタ自分で打ったんでしょ?」 で終わりである。
こういう結末が、ありえるかも、と覚悟した上で、みんな選択してるのかなぁ?
何でもそうだが、みんなでやれば恐くない!といっても被害は個人持ちである。

 もうひとつの例だが自分が体験してきた事だから、はっきりしている。
以前、勤めていた所が老健だったためワクチン接種は職場を上げて勧められる。
が、頑なに自分だけ拒否していた。
もちろん、かなり上司から攻撃された。

 だが、ワクチンを打ってる筈の他職員が感染しインフルエンザで休んでるのは何度もみている。
それなのに、自分は一度も感染が確認されたことはない。
全く打ってない、うちの家族も同様である。
また、近所で親しくしていた人が入院した時、彼女の子供がインフルエンザになった。
その子を私が車で病院まで、何度か送迎したが全く感染しなかった。

 今回借りた本の中にも書いてあった。
不顕性感染。
すなわちウイルスが進入しても軽い症状で治ってしまう。
そしてそのウイルス対しては免疫が出来る。
その自己免疫がワクチンなんかよりサイコーの予防であるってね。
たぶん、私はソレだ!と思っている。
 
 でも ・・・ ○○は風邪引かない!って言うからやっぱりソレ?!


頑張れ、明治村!

 愛知県犬山市に、明治時代の建物ばかり全国から移築し、保存している博物館がある。
その名は、ずばり明治村。 なんの工夫も洒落っ気もないネーミングだ。
しかし、私はここのファンである。
特に深い理由はないが、単純に古いものが好きだからだ。
もう、おそらく10回以上は来ている。

 とにかく、園内の建物は実際に使用されていたものばかりなので、その中に佇むだけで、そこで生活されていた人達を想い、短くもあり、長くもある人生の繰り返しに感慨深い思いを持つ。
また、確実に人が存在したであろうと思われる形跡には、厳粛な気持ちにもなる。
 結構、敷地は広いので全て廻ろうと思ったら、確実に1日たっぷりかかる。
今回、どこやらの割引券があったので、なおさらチャンスだと思い、夫と繰り出す。

 特に、新たに興味が沸いたのは幸田露伴(作家1867~1947)の住宅である。
少し前に幸田文(露伴の娘、作家1904~1990)の本を読んだ。
その、文の生家がそこだと説明にある。
それまで、夏目漱石宅の親近感の影に隠れて、ほとんど素通りに近かった。
が、ちょっと娘の本を読んだくらいで、もう記念写真は外せないくらいのミーハーぶりである。

 さっそく、露伴の文机に座り、満悦な顔して夫にシャッターを切って貰う。
露伴も自分の死後、60年も経ってから愛用の文机で、このような、どこの馬の骨とも判らない
おばさんが写真に納まるなんて、夢にも思わなかったことだろうと思う。
それを思うだけでも大きなロマンを感じる。

 さて、さっきお昼ごはんを食べ満腹で、陽気も良いのでなんだか眠くなってきた。
どれ、そこいらのベンチで休もうと腰掛けた。
座りながらこっくりこっくりしてたら、春とはいえやっぱり外は寒い。
場所を変えようという事になった。
2人で相談した結果、さすが何度も来ているだけあって、すぐにうたた寝に丁度よさそうな場所が思い浮かぶ。
帝国ホテル(巨匠フランク・ロイド・ライト作1923年完成)のロビーの椅子だ。
すぐさま帝国ホテルへ向かう。(妙な夫婦だ!)

 やっぱり、誰も居ない。ラッキー!と柔らかなソファーに向かい合わせに座り、2人こっくり
こっくりやりだした。
気持ちよく寝てたら、いきなり琴が鳴りだした。
その音で目が覚め、見ると夫の背中越しのすぐ後ろで、おばさんが張り切って弾いてるでは
ないか! 明治村主催のイベントらしい・・・。
嫌な予感がした。

 案の定、夫は目を覚まし、まさかその音の犯人が、すぐ後ろの生演奏とは思わず大きな声で
「うるっせーなあー!」 お琴のおばさん一瞬、目が釣り上がる。
私はアゴでうしろ、うしろと合図する。 夫は「?」とまぬけ顔・・・しばらくして音の強烈さに察知。
おばさんに怒られる前に立ち去ろうと、さりげに夫の腕を取り、逃げるようにその場を後にする。
 なんとも、情けない夫婦である。
夫はてっきり、館内放送かと思ったと、むなしく弁解している。
そもそも、昼寝の場所に指名されたんじゃ、巨匠ライトも「こりゃ、まいったナァ!」である。

 ・・・しかしながら、このような博物館も維持管理にだいぶ費用が掛かると思う。
それに反してレジャーの多様化で、昔に比べたら客足は寂しいんではないか?
個人的にはなんとか、存続して欲しいのでこれからも定期的に足を運び、貢献したい。
特に、ここは年月が経過するほど価値が上がるんだ。
 頑張れ、明治村!

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            幸田露伴の書斎・・・なんとも趣きがあるではないか!


本を読むという事

 図書館に行くといつも思う。
こんなに厖大な本の中で、自分が一生のうち手に取るのは、ほんの僅かなんだなーと。
五木寛之ではないが、まさしく大河の一滴に過ぎない数だ。
それでもその一滴が、大河にも通じる道を創ってくれる。

 本を通してその作者と通じる。
普通に生活していれば、絶対めぐり合えない世界の人達と通じる。
時間、場所、環境の違い、全て飛び越えて通じる。
他の媒体では考えられない。
しかも、そこには明確に、こちらのイニシアチブ(主導権)が存在する。

 この間、山道を歩きながら、ふと気が付いた。
山登り自体、自分から始めたように思っていたが、よく考えたら、植村直己(冒険家)田中澄江(脚本家)田部井淳子(登山家)などのエッセーを読み、山登りのおもしろさを知り、それが無意識のうちに自分の中へ蓄積され、行動に現れた気がする。
(意外だが、女優の市毛良江、八千草薫も自身のエッセーの中で、山登りを楽しむ事を記している)

・・・ 最近、大学生の息子が「財布の中には、あと65円しか入ってない」などと不届きな事を自慢げに言った。(いまどき、小学生でも、あと35円上乗せしたくらい持ってるぞ!・・・っつうか、そこまで使い込むな!)
そういえば、そろそろ不燃ごみが溜まって来たことだし、その処分を頼もうという下心が浮かんだので、特別臨時太っ腹お小遣いをやることにした。
♪貸しを作って頼みごと~ンだ♪(ワッ!汚ったないぞ)
私は息子の前で、マイお小遣い財布(生活費とは別のお財布)を広げた。
手品の鳩のように沢山のレシートが飛び出した。

 たこ焼き、大判焼き・・・オッ!みたらし団子もあるぞ。ちょっと気取ってクレープだってある・・・などおやつ類のレシートと、何枚かの本屋のレシートばかりだった・・・。
これには、自分も息子も笑った。
お母んは、こればっかりにしか、お金を使わないのか!だ。
 
 デヘッ!・・・たぶん婆さんになっても本を広げ、歯のない顔で楽しそうに頷いて、読みふけっているんだろうナッ!・・・手には、しっかり大判焼きを握って・・・(どんな婆さんなんだ!)


      
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       あやこ3の本棚・・・もう限界だ。僅かな隙間にも押し込まれている本達

自分だけだと思ってたら・・・。

 今朝の新聞にはびっくりした。
以前から、世間一般にはかなりマイナーだけど、私にとってはお勧め1番というものが幾つかあり、その内の2件が載っていたからだ。

 ひとつは渡辺和子さんの講和集販売の広告。
渡辺和子さん、1927生まれ。カトリックのシスターであり、現在ノートルダム清心学園理事長。
1984年マザー・テレサが来日した時には通訳も務めた。著作多数あり。

 書かれた本を何冊か読んだが、ものごとの本質を鋭く説き、それでいて優しい文章は心に響き、今でも時々手にする本である。けれど、その立場上、宣伝とか、表舞台に登場とか全くないので知る人ぞ知るだろうな、と勝手に思って密かなファンでいた。
ところが、今回12枚組みCD発売である。
かなりな購買層の予測が立たなければ、商品として企画されないと思う。
改めて自分以外に大勢のファンがいる事を知って驚き、嬉しく思う次第である。

 もうひとつはイザべラ・バード著「日本奥地紀行」
これが書評で紹介されていた。今から130年前に英国人女性が、日光から順番に東北、北海道へ旅をした時の旅行記である。
時代は明治11年である。
当時の、それぞれの土地や庶民の様子、風習などが率直に綴られている。
 私はこの本を3年ほど前に見つけてから、楽しみを小出しにする様にゆっくり読んでいる。
地図までコピーして、その足跡をたどりながら昔の日本人の生活を想像し、現代と比較しながら感慨深い思いを幾つか感じている。

 中でも当時の日本人を礼儀正しく、親切で温かいと記述されていたりすると、なんだか誇らしくもあり、ほとんど洗濯の習慣がなく、着の身着のままで、貧しく一生を過ごす農民達が登場すると、130年後のこの国の発展ぶりに感嘆したりもする。
また、今でも同じ地名の場所が出てくると、わくわくしてしまう。

 今、やっと半分くらい読み終わったところである。
その味わい深い本が、新聞に紹介されているではないか!
自分と同じ、その魅力に惹かれた人がいる事実が無償に嬉しい。

 渡辺和子さんにしろ、日本奥地紀行にしろ、ほんとに心が動くんだ。
こんな風に表に出てなくても、私はずっと前から知ってたよ。
・・・妙な優越感を持つ私であった。


あやこ3の由来

あやこ3について

  私が、最も影響を受けた作家のお二人、三浦綾子さん、曽野綾子さんから,ずうずうしく頂いた。
 それでも、漢字そのままでは実に恐れ多いので、ひらがなとし3番目ということで「あやこ3」
 
 いうまでもなくお二人とも大作家である。
著作は厖大な数に及ぶ。
 お二人の出版された著作は、ほとんど読んでいる私が、それぞれのお勧め1冊を選ぶとしたら(非常に迷うし、かなり客観性に欠けるが・・・。)
           三浦綾子さん   小  説   「塩狩峠」 
                       エッセー  「道ありき」
           曽野綾子さん   小  説   「時の止まった赤ん坊」
                       エッセー  「こころに迫るパウロの言葉」 

 どれも、人生観を変えてしまうほど強烈に自分に問いかけてくる。
実際、今までなにげなく過ごしていた現実のうち、何が必要で、なにが余計なのか、改めて考えさせられた。
 と同時に、意思によって何を大切にしていくべきか、なにが取るに足らないものなのか、その判断基準を突き詰めることにもなった。
 もちろん、小説など物語としてのストーリーもしっかりしているので、魂の底から湧き上がってくる感動がある。
クライマックスでは、しっかり泣けてしまう。
 
・・・読書の醍醐味とは・・・価値観をひっくり返してしまう事!



「星野道夫と見た風景」を見た私

 ヤッホー!
 今日、ネットで注文した本がコンビニに届いた。
最近自覚した。本を読む事の原動力は、人に対する大きな好奇心。

 今、夢中なのは、写真家、星野道夫。
偶然見たTVが、彼のライフワークで撮り続けたアラスカの自然に関しての番組を放送していた。
そのアラスカも素晴らしいが、挿入されているエッセーの一部にすっかり惚れ込んでしまった。
早速ネットで、著作を取り寄せた。
思ったとうり、こちらの思いにグイグイ問いかけてくる。
人にとっての真の豊かさとは?幸とは?

 彼は1952年生まれ。
10代の頃、古本屋で偶然見た1枚の写真をきっかけにアラスカに憧れ、19の夏3ヶ月現地ですごし、大学卒業後、アラスカ大学野生動物管理学部に留学。そのまま、アラスカに住み着き、結婚し男の子を1人儲けたが1996年、取材中熊に襲われ亡くなる。
生前、数々の写真集、エッセーを発表していた。

 「旅をする木」「長い旅の途上」を読んだ。
どちらも暖かく優しくそれでいて、凛とした自然への畏敬が感じられる文章だ。
挿入されているアラスカの写真も胸を打つ。
読みながら、眺めながら、なんども頷いた。

 今回、取り寄せたのは妻である星野直子との共著になっている、「星野道夫と見た風景」。   
沢山のアラスカの自然をバックにしての動物や花の写真、星野道夫との結婚へのいきさつ、そして暮らし。

 本を通して星野道夫、その人間像にさらに近づく。
知れば知る程、どうしてこの人を、もっと早く知ることが出来なかったのか、の思いだ。
そして、改めて自分の過ごしてきた道を確認する。

 今まで、その時々で色んな出来事に、一生懸命考えて対処したこと、いい加減に受け止めたこと、それぞれだけど、彼の言葉を借りれば「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、すごしてしまった、かけがえのないその時間である。(旅をする木より)」

 なんだか時々、疑問視気味だった自分の道が、肯定されたようで嬉しかった。

 自分にとって、本は最高の娯楽だ。
そして、未知のものへの道案内だ。

 今、新たに行ってみたい国、場所の上位ランキングに、アラスカが入ってしまった。










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