プロフィール

  あやこ3

Author: あやこ3
愛知県在住
1958年生まれ
夫、大学4年の次男と3人家族。
嫁に行った長女、独立した長男あり。


FC2カウンター


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


月別アーカイブ


カテゴリー


ブロとも申請フォーム


ブログ内検索

Powered By FC2ブログ

こんなんまで、入ってます。


 最近読んだ、群ようこ氏のエッセーで、こんなようなことが書かれてあった。

 ・・・このごろオバサンも結構、若作りするので服装だけでは、オネエサンと大差ない。
けれどバックを見れば一目瞭然。
オバサンのバックはパンパンだ・・・。

 思わず噴き出してしまった。
間違いなく自分も、パンパンだからだ。

 先日、友達数人とランチに出かけた。
全員、自分と同世代である。
さりげに、みんなのバックを見る。
なるほど確かに、そこそこ膨らんだバックを持っている。

 ・・・でも、あきらかに、自分が一番パンパンだった。
異様に膨らんでいる。
帰り際、道端で立ち話しをする。
なにげにバックから、水筒を取り出したら、みんなにギョッとされた。
 

東村に思いを寄せて


 桜便りが、あちこちで聞かれる頃だった。
そろそろGWに登る山を決めないと、宿の手配が間に合わない。

 去年、思いつきのように決行した大山(鳥取県)。
寸前に予約の手配になった。
空いている宿が1件しかなく、仕方なくそこにした。
犬も一緒にOK、という触れ込みの宿だった。
犬は好きだ。
だが見も知らない犬とのペンションライフは、イマイチ乗り気がしなかった。

 案の定、キャンキャン吠える小型犬を連れた家族の横での晩ご飯と相成った。
それだけならまだしも、夕食のメニューが、なんと「ナベ!」
そう、あの寒い季節定番のナベ!
なんで、初夏ともいえるGWでナベなんだ!
小型犬が走り回る座敷(ペンションに座敷、というのもヘンだ!)で季節外れのナベを囲んだ時、しみじみ思った。
やっぱり、予約は早めに取ろうと・・・。

 今回はその教訓を活かし、早めに計画を立てる。
常日頃、夫と少しずつ百名山を制覇しようと決めているので、リストを前に相談。
休みの都合で、往復も含めて3日以内で行ける距離の山。
お正月に西へ出かけたので、今度は東が良い。
結果、赤城山(群馬県)に決定。

 あの「赤城の山も今宵限りだ・・・」の赤城山である。
念のため、天候悪化や時間の空きに周れるかもしれない観光スポットも調べる。
ふと、気が付く。
富弘美術館がある東村が群馬県だ!
地図で確認する。
赤城山から20、30キロの距離である。

 星野富弘 S21年生まれ、群馬大学を卒業後、体育教師として中学校に赴任。
わずか2ヵ月後、クラブ活動の指導中、誤って鉄棒から転落。
以後、四肢マヒにより手足の自由を失う。
その後、口に筆をくわえて詩画を描き始め、その作品が全国で感動を呼ぶ。
故郷に自身の詩画が常設されている美術館(富弘美術館)あり。

 約、20年ほど前に手にした星野さんの著書「風の旅」「愛、深き淵より」の深い感動を思い出す。
ページを開くと、心に刻み付けるように自分で引いた線が何本もついている。
その箇所は今でも胸を打つ。

 仲良しだった入院仲間がだんだん状態が良くなり、ずっとその仲間の回復を願っていた筈の彼だったが、自分の心に湧き出た嫉妬心に、苦しんだ時の手記。
・・・周囲のひとが不幸になったとき自分が幸福だと思い、他人が幸福になれば自分が不幸になってしまう。
自分は少しも変わらないのに、幸福になったり不幸になったりしてしまう。
周囲に左右されない本当の幸福はないのだろうか・・・

 また、自分の身体は、もう一生元に戻らないという事実に打ちのめされ、自殺を考えてしまう。
だが、様々な出来事を通して彼は蘇る。
その場面にも線が引いてある。

・・・いつかはわからないが、神様が用意していてくれる、ほんとうの私の死の時まで胸をはって一生懸命生きようと思った。
井上陽水の「人生が二度あれば」という曲が、ときたまラジオから流れてきた。
でも私は人生が二度あればなどと考えるのはよそう。
今の人生を精一杯生きられない者が、二度目の人生など生きられるはずがあるだろうか。・・・
                                        星野富弘著「愛、深き淵」より

 
 何だか赤城山より、星野さんの故郷に行ける!という事が大きな楽しみになってしまった。
訪ねた時に、じっくり感動したいので、もう一度著作を読み直そう!
赤城山、桐生、渡良瀬川そして東村!地図の中の地名が鮮やかに生きてくる。
読みながら、こんなに良い本と巡り会っていたんだ、と改めて感激する。

 

インフルエンザワクチンは打たないよ!

 
ここ何年か、この時期になるとインフルエンザ予防注射の話題が出る。
しかも圧倒的に推奨派の意見が多い。

 インフルエンザの予防注射って、たしか昔 「効果が不明で、副作用被害が多い」 との理由から義務接種から任意接種になったはず・・・。
今って状況がまた変わったのかな?
それとも、みんな、ちゃんと調べた上で判断しているのかな?
と、ひとごと (自分は全く打ってないので) ながらも気には、なっている。

 6年ほど前だった。
長男が大学入試を控えていた。
他の受験生同様、予防接種が学校で話題になり、どうするか当時長男から意見を訊かれた。
一応、打つ必要なしと答えたものの、再度確認しようと調べた。
やはり自分自身、昔の情報なので新たに状況が違っているかも、と思ったからだ。
だが、行き着いた結論は同じであった。
「有効性が無いばかりか、副作用被害もキチンと毎年報告されている」

 その2年後の次男受験時は、調べるまでも無く打つ必要なし、と答え、事実打たなかった。
だって、かりにインフルエンザになって受験出来なくても、また来年受ければいいではないか!
そんな事より、もし副作用が出て一生寝たきりになんてなったら、取り返しが付かない。

 なんとなく、コレまでの国のやってる事は国民の健康より、それらを作ったり売ったりしている企業、集団を有利にと動いている気がする。
その結果トンデモナイ事態になった事が多々ある。
 薬害エイズだってそうじゃないか!ヤコブ病、最近の薬害肝炎訴訟もそうだろう!
だから私は何かヘン!と思ったら、まず自分で調べる。
特に母親として、自分の無知により子どもをトンデモナイ事に遭遇させるワケにはいかない!

 今回、図書館で借りた本の中に医師が書いた風邪に対する予防の最新ノウハウ本があった。
その本にやはり、ワクチン不要論ばかりか義務接種だった30年ほど前の、重篤な副作用被害に会われた方達がつい最近まで被害認定、国家賠償裁判が各地で起こされ、被害者の訴えがことごとく認められている事に触れてあった。

 そのなかに一例で25年前、学校での集団ワクチン接種が原因で、急性散在性脳髄膜炎を発症、現在症候性ジストニアという重い中枢神経疾患になり、発声を含め全ての行動に重度の後遺障害を残された方を実名で紹介されていた。
 現在も高齢化された親御さんに全面介護されてるそうである。
当時、義務接種だった事を考えるとホントにお気の毒である。
もちろん裁判では国は責任を認め、勝訴してみえる。

 こんな事例が今でもある事を一般の新聞に書かれてあったことは、自分が見る範囲ではない。
ますます製薬会社、医療関係の利益の為に国は動いているんでは?と怪しんでいる。
特にインフルエンザワクチンは、巨額な利益をもたらしているのは予測がつく。

 しかも、今はこれだけ恐ろしい副作用の現実があっても任意接種の自己責任である。
もし、被害にあっても 「アンタ自分で打ったんでしょ?」 で終わりである。
こういう結末が、ありえるかも、と覚悟した上で、みんな選択してるのかなぁ?
何でもそうだが、みんなでやれば恐くない!といっても被害は個人持ちである。

 もうひとつの例だが自分が体験してきた事だから、はっきりしている。
以前、勤めていた所が老健だったためワクチン接種は職場を上げて勧められる。
が、頑なに自分だけ拒否していた。
もちろん、かなり上司から攻撃された。

 だが、ワクチンを打ってる筈の他職員が感染しインフルエンザで休んでるのは何度もみている。
それなのに、自分は一度も感染が確認されたことはない。
全く打ってない、うちの家族も同様である。
また、近所で親しくしていた人が入院した時、彼女の子供がインフルエンザになった。
その子を私が車で病院まで、何度か送迎したが全く感染しなかった。

 今回借りた本の中にも書いてあった。
不顕性感染。
すなわちウイルスが進入しても軽い症状で治ってしまう。
そしてそのウイルス対しては免疫が出来る。
その自己免疫がワクチンなんかよりサイコーの予防であるってね。
たぶん、私はソレだ!と思っている。
 
 でも ・・・ ○○は風邪引かない!って言うからやっぱりソレ?!


頑張れ、明治村!

 愛知県犬山市に、明治時代の建物ばかり全国から移築し、保存している博物館がある。
その名は、ずばり明治村。 なんの工夫も洒落っ気もないネーミングだ。
しかし、私はここのファンである。
特に深い理由はないが、単純に古いものが好きだからだ。
もう、おそらく10回以上は来ている。

 とにかく、園内の建物は実際に使用されていたものばかりなので、その中に佇むだけで、そこで生活されていた人達を想い、短くもあり、長くもある人生の繰り返しに感慨深い思いを持つ。
また、確実に人が存在したであろうと思われる形跡には、厳粛な気持ちにもなる。
 結構、敷地は広いので全て廻ろうと思ったら、確実に1日たっぷりかかる。
今回、どこやらの割引券があったので、なおさらチャンスだと思い、夫と繰り出す。

 特に、新たに興味が沸いたのは幸田露伴(作家1867〜1947)の住宅である。
少し前に幸田文(露伴の娘、作家1904〜1990)の本を読んだ。
その、文の生家がそこだと説明にある。
それまで、夏目漱石宅の親近感の影に隠れて、ほとんど素通りに近かった。
が、ちょっと娘の本を読んだくらいで、もう記念写真は外せないくらいのミーハーぶりである。

 さっそく、露伴の文机に座り、満悦な顔して夫にシャッターを切って貰う。
露伴も自分の死後、60年も経ってから愛用の文机で、このような、どこの馬の骨とも判らない
おばさんが写真に納まるなんて、夢にも思わなかったことだろうと思う。
それを思うだけでも大きなロマンを感じる。

 さて、さっきお昼ごはんを食べ満腹で、陽気も良いのでなんだか眠くなってきた。
どれ、そこいらのベンチで休もうと腰掛けた。
座りながらこっくりこっくりしてたら、春とはいえやっぱり外は寒い。
場所を変えようという事になった。
2人で相談した結果、さすが何度も来ているだけあって、すぐにうたた寝に丁度よさそうな場所が思い浮かぶ。
帝国ホテル(巨匠フランク・ロイド・ライト作1923年完成)のロビーの椅子だ。
すぐさま帝国ホテルへ向かう。(妙な夫婦だ!)

 やっぱり、誰も居ない。ラッキー!と柔らかなソファーに向かい合わせに座り、2人こっくり
こっくりやりだした。
気持ちよく寝てたら、いきなり琴が鳴りだした。
その音で目が覚め、見ると夫の背中越しのすぐ後ろで、おばさんが張り切って弾いてるでは
ないか! 明治村主催のイベントらしい・・・。
嫌な予感がした。

 案の定、夫は目を覚まし、まさかその音の犯人が、すぐ後ろの生演奏とは思わず大きな声で
「うるっせーなあー!」 お琴のおばさん一瞬、目が釣り上がる。
私はアゴでうしろ、うしろと合図する。 夫は「?」とまぬけ顔・・・しばらくして音の強烈さに察知。
おばさんに怒られる前に立ち去ろうと、さりげに夫の腕を取り、逃げるようにその場を後にする。
 なんとも、情けない夫婦である。
夫はてっきり、館内放送かと思ったと、むなしく弁解している。
そもそも、昼寝の場所に指名されたんじゃ、巨匠ライトも「こりゃ、まいったナァ!」である。

 ・・・しかしながら、このような博物館も維持管理にだいぶ費用が掛かると思う。
それに反してレジャーの多様化で、昔に比べたら客足は寂しいんではないか?
個人的にはなんとか、存続して欲しいのでこれからも定期的に足を運び、貢献したい。
特に、ここは年月が経過するほど価値が上がるんだ。
 頑張れ、明治村!

                       07-03-25_13-04.jpg

            幸田露伴の書斎・・・なんとも趣きがあるではないか!


本を読むという事

 図書館に行くといつも思う。
こんなに厖大な本の中で、自分が一生のうち手に取るのは、ほんの僅かなんだなーと。
五木寛之ではないが、まさしく大河の一滴に過ぎない数だ。
それでもその一滴が、大河にも通じる道を創ってくれる。

 本を通してその作者と通じる。
普通に生活していれば、絶対めぐり合えない世界の人達と通じる。
時間、場所、環境の違い、全て飛び越えて通じる。
他の媒体では考えられない。
しかも、そこには明確に、こちらのイニシアチブ(主導権)が存在する。

 この間、山道を歩きながら、ふと気が付いた。
山登り自体、自分から始めたように思っていたが、よく考えたら、植村直己(冒険家)田中澄江(脚本家)田部井淳子(登山家)などのエッセーを読み、山登りのおもしろさを知り、それが無意識のうちに自分の中へ蓄積され、行動に現れた気がする。
(意外だが、女優の市毛良江、八千草薫も自身のエッセーの中で、山登りを楽しむ事を記している)

・・・ 最近、大学生の息子が「財布の中には、あと65円しか入ってない」などと不届きな事を自慢げに言った。(いまどき、小学生でも、あと35円上乗せしたくらい持ってるぞ!・・・っつうか、そこまで使い込むな!)
そういえば、そろそろ不燃ごみが溜まって来たことだし、その処分を頼もうという下心が浮かんだので、特別臨時太っ腹お小遣いをやることにした。
♪貸しを作って頼みごと〜ンだ♪(ワッ!汚ったないぞ)
私は息子の前で、マイお小遣い財布(生活費とは別のお財布)を広げた。
手品の鳩のように沢山のレシートが飛び出した。

 たこ焼き、大判焼き・・・オッ!みたらし団子もあるぞ。ちょっと気取ってクレープだってある・・・などおやつ類のレシートと、何枚かの本屋のレシートばかりだった・・・。
これには、自分も息子も笑った。
お母んは、こればっかりにしか、お金を使わないのか!だ。
 
 デヘッ!・・・たぶん婆さんになっても本を広げ、歯のない顔で楽しそうに頷いて、読みふけっているんだろうナッ!・・・手には、しっかり大判焼きを握って・・・(どんな婆さんなんだ!)


      
                      20070328213526.jpg

       あやこ3の本棚・・・もう限界だ。僅かな隙間にも押し込まれている本達

自分だけだと思ってたら・・・。

 今朝の新聞にはびっくりした。
以前から、世間一般にはかなりマイナーだけど、私にとってはお勧め1番というものが幾つかあり、その内の2件が載っていたからだ。

 ひとつは渡辺和子さんの講和集販売の広告。
渡辺和子さん、1927生まれ。カトリックのシスターであり、現在ノートルダム清心学園理事長。
1984年マザー・テレサが来日した時には通訳も務めた。著作多数あり。

 書かれた本を何冊か読んだが、ものごとの本質を鋭く説き、それでいて優しい文章は心に響き、今でも時々手にする本である。けれど、その立場上、宣伝とか、表舞台に登場とか全くないので知る人ぞ知るだろうな、と勝手に思って密かなファンでいた。
ところが、今回12枚組みCD発売である。
かなりな購買層の予測が立たなければ、商品として企画されないと思う。
改めて自分以外に大勢のファンがいる事を知って驚き、嬉しく思う次第である。

 もうひとつはイザべラ・バード著「日本奥地紀行」
これが書評で紹介されていた。今から130年前に英国人女性が、日光から順番に東北、北海道へ旅をした時の旅行記である。
時代は明治11年である。
当時の、それぞれの土地や庶民の様子、風習などが率直に綴られている。
 私はこの本を3年ほど前に見つけてから、楽しみを小出しにする様にゆっくり読んでいる。
地図までコピーして、その足跡をたどりながら昔の日本人の生活を想像し、現代と比較しながら感慨深い思いを幾つか感じている。

 中でも当時の日本人を礼儀正しく、親切で温かいと記述されていたりすると、なんだか誇らしくもあり、ほとんど洗濯の習慣がなく、着の身着のままで、貧しく一生を過ごす農民達が登場すると、130年後のこの国の発展ぶりに感嘆したりもする。
また、今でも同じ地名の場所が出てくると、わくわくしてしまう。

 今、やっと半分くらい読み終わったところである。
その味わい深い本が、新聞に紹介されているではないか!
自分と同じ、その魅力に惹かれた人がいる事実が無償に嬉しい。

 渡辺和子さんにしろ、日本奥地紀行にしろ、ほんとに心が動くんだ。
こんな風に表に出てなくても、私はずっと前から知ってたよ。
・・・妙な優越感を持つ私であった。


あやこ3の由来

あやこ3について

  私が、最も影響を受けた作家のお二人、三浦綾子さん、曽野綾子さんから,ずうずうしく頂いた。
 それでも、漢字そのままでは実に恐れ多いので、ひらがなとし3番目ということで「あやこ3」
 
 いうまでもなくお二人とも大作家である。
著作は厖大な数に及ぶ。
 お二人の出版された著作は、ほとんど読んでいる私が、それぞれのお勧め1冊を選ぶとしたら(非常に迷うし、かなり客観性に欠けるが・・・。)
           三浦綾子さん   小  説   「塩狩峠」 
                       エッセー  「道ありき」
           曽野綾子さん   小  説   「時の止まった赤ん坊」
                       エッセー  「こころに迫るパウロの言葉」 

 どれも、人生観を変えてしまうほど強烈に自分に問いかけてくる。
実際、今までなにげなく過ごしていた現実のうち、何が必要で、なにが余計なのか、改めて考えさせられた。
 と同時に、意思によって何を大切にしていくべきか、なにが取るに足らないものなのか、その判断基準を突き詰めることにもなった。
 もちろん、小説など物語としてのストーリーもしっかりしているので、魂の底から湧き上がってくる感動がある。
クライマックスでは、しっかり泣けてしまう。
 
・・・読書の醍醐味とは・・・価値観をひっくり返してしまう事!



「星野道夫と見た風景」を見た私

 ヤッホー!
 今日、ネットで注文した本がコンビニに届いた。
最近自覚した。本を読む事の原動力は、人に対する大きな好奇心。

 今、夢中なのは、写真家、星野道夫。
偶然見たTVが、彼のライフワークで撮り続けたアラスカの自然に関しての番組を放送していた。
そのアラスカも素晴らしいが、挿入されているエッセーの一部にすっかり惚れ込んでしまった。
早速ネットで、著作を取り寄せた。
思ったとうり、こちらの思いにグイグイ問いかけてくる。
人にとっての真の豊かさとは?幸とは?

 彼は1952年生まれ。
10代の頃、古本屋で偶然見た1枚の写真をきっかけにアラスカに憧れ、19の夏3ヶ月現地ですごし、大学卒業後、アラスカ大学野生動物管理学部に留学。そのまま、アラスカに住み着き、結婚し男の子を1人儲けたが1996年、取材中熊に襲われ亡くなる。
生前、数々の写真集、エッセーを発表していた。

 「旅をする木」「長い旅の途上」を読んだ。
どちらも暖かく優しくそれでいて、凛とした自然への畏敬が感じられる文章だ。
挿入されているアラスカの写真も胸を打つ。
読みながら、眺めながら、なんども頷いた。

 今回、取り寄せたのは妻である星野直子との共著になっている、「星野道夫と見た風景」。   
沢山のアラスカの自然をバックにしての動物や花の写真、星野道夫との結婚へのいきさつ、そして暮らし。

 本を通して星野道夫、その人間像にさらに近づく。
知れば知る程、どうしてこの人を、もっと早く知ることが出来なかったのか、の思いだ。
そして、改めて自分の過ごしてきた道を確認する。

 今まで、その時々で色んな出来事に、一生懸命考えて対処したこと、いい加減に受け止めたこと、それぞれだけど、彼の言葉を借りれば「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、すごしてしまった、かけがえのないその時間である。(旅をする木より)」

 なんだか時々、疑問視気味だった自分の道が、肯定されたようで嬉しかった。

 自分にとって、本は最高の娯楽だ。
そして、未知のものへの道案内だ。

 今、新たに行ってみたい国、場所の上位ランキングに、アラスカが入ってしまった。










最近読んだ本の中から

  「誰かへの手紙のように」 山田太一著より

 あと何年かで、この世に生を受けて半世紀である。
通常この年齢では、若さへの名残惜しさでいっぱいの方が、大多数だと思う。
いや、この年齢に限らず一般的に、若さは憧れである。
しかし私自身は、いろんな意味で、年を重ねるのも悪くないなあと思い始めている。

 このエッセーの中でも山田さんは、自分の年齢による自分の変化が予想外に大きく、しかしそれに逆らってはいけないと自制する一方で、その変化をじっくり味あわないと、勿体ないといっている。
 まさに自分もそう思う。

昔は、なんでも白か黒だったが、今は、灰色もありといえる。
昔は、目に見えることだけで単純に評価してたが、今は、様々な角度からみるようになったので、歯切れのいいことが言えない。
昔は、勇ましく、はっきりと強いことが、カッコよかったが、今は、穏やかさや徳性、そして寛大さに、ひれ伏したくなるほど憬れる。
 ざっとあげても、こんな自分の変化に驚く。
そしてその変化を楽しみたいと思う。

 さまざまな情報が行き交うなかで、自分の日常が未来が、機嫌好くすごせ、愉しくなるものだけ選別していきたい。
特に読む本は、内面にじわじわ影響していくので、大切だ。
 昨日、ぺらぺらっと読んだ「おせい&カモカの昭和愛借」のなかで著者の田辺さんは、若い人に向けて、多く深く本を読みなさいと呼びかけていた。
あとで読もうと思っても果たせぬことが多い。
人間の読書の手持ち時間は意外に少ないと・・・。
 若い人ばかりか、わたしのようなおばさんもそうだ。
赤ちゃんからお年寄りまで、みんな公平1日は24時間だ。
下らないことに時間をつかうのは、もったいない限りだ。

 いつか、日野原重明ドクターが、その著書の中で、「いのち」とは自分が使える時間、と置き換えていらした・・・自分の時間はいったい何に使うか?何に使っているか?
じっくり考えていきたい。

でも今は、なにより苦い思い出も含めて、過去のひとつひとつの出来事に感謝している。
だからこそ、遅まきながらお返しを考えて行きたい。
 これも今の年齢になる過程で思いついてきたことだ。

     ・・・だから年を重ねるのって、悪くないなあと思う。







  
 | HOME |  ▲ page top