近隣の市で、いわさきちひろの童画展をやっている、と夫が教えてくれた。
昔から、ちひろの絵は好きだった。
小さい頃に見かけた、雑誌や絵本に載っていたイラストが、ちひろのものだと大人になってから知った。
その頃から、ずっと好きだった。
眺めていると、心が浄化されるような素直な絵だ。
パステルカラーの優しく柔らかな子どもの絵は、懐かしさも沸き上がる。
その絵に描かれた、何気ない子どものしぐさも納得出来て、深く感心してしまう。
だが、17年ほど前に、ちひろの評伝 「つばひろの帽子をかぶって」(飯沢 匡 黒柳徹子著)を読んでから、ちひろの人生が苦難の連続であったことを知った。
その、ふんわりとした優しい素朴な絵が、厳しい生活の中で生み出されたものであった事が、余計に胸を打った。
本の中で特に感動したのは、亡くなる2年ほど前、当時53才のちひろが思いを込めて書いた文だ。
「つばひろの帽子をかぶって」の最後のページに紹介してある。
今でも、内容を思い出すことが出来る。
その文が、子どもを育てる上での目標の、ひとつのきっかけにもなったので、よく憶えているのだ。
さっそく、雨の日の休日、美術館へ出かけた。
やはり人気があるようで、早い時間だったにも拘わらず、駐車場はすでに満車に近く、そこへ通じる公道は後から後から、美術館に向う車で賑わっていた。
ちひろの童画展は、こうして近隣で催されれば、必ず行くようにしている。
長野県安曇野の、ちひろ美術館も何年か前に訪ねたことがある。
時々、ふと眺めたくなる絵なのだ。
ひととおり、懐かしさに浸りながら周ると、出口のところで、なんと、あの「文」と、ご対面となった。
今回の童画展、やはりこの「文」が万人を感動させるのか、大きなパネルになって展示してあった。
今、また読み返しても、やっぱり胸に詰まってしまう。
ちひろが、あの絵を生み出すのに、どんな思いですごして来たのか、少し解る気がする。
同時に、今の自分も同じような年齢になり、改めて読むと、実感として身につまされる思いだ。
特にラストの段落は、心に染み入り 「ホントにそうそう、そうだね!」 と、今でも大きく頷いてしまうのだ・・・。
『大人になること』 いわさきちひろ
人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。
けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。
といってなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。
戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮らしをしていました。
好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。
けれど生活をささえている両親の苦労をさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼しても気付かず、なにごとも付和雷同をしていました。
思えば、なさけなくもあさはかな若き日々でありました。
ですから、いくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。
ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。
もちろん、いまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。
だけどあのころよりはましになっていると思っています。
そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。
失敗をかさね、冷や汗をかいて、少しずつ、少しずつわかりかけてきているのです。
青年老いやすく学成りがたしとか。
老いても学はならないのかもしれません。
でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の生き甲斐なのです。
若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。
親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点がゆるせなかったこともありました。
いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。
これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。
大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。
(「ひろば」53号 1972年4月 至光社)
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